天台の法流を汲み、東国第一の台密道場へ

平安時代、清和天皇の貞観年中(八六〇年頃)、武蔵の国司蔵宗(こくしくらむね)が反乱を起こし、この降伏を祈念するために、修験の達者である比叡山の恵亮和尚(えりょうかしょう)が勅命をうけ東国に下りました。特に恵亮和尚は深大寺を道場に定めて、逆賊降伏の密教修法を行ない、その平定の功により清和天皇は、近隣七ヶ村を深大寺に寄せられ、寺を恵亮和尚に賜りました。昭和五十八年、深大寺開創千二百五十年を記念して建立された山上の開山堂には、深大寺開基満功上人そして天台宗第一祖、大楽大師(だいらくだいし)恵亮和尚の両祖師像が祀られているのです。

以来深大寺はそれまでの法相宗を改め天台の法流をくみ、源家の尊崇を集めるに至りました。さらには天台密教の一流である仏頂流を伝承し、東国第一の密教道場となって、その勢いは大いにふるったといいます。

⇒ 比叡山より「元三大師自刻像」を迎える