07.「元三大師信仰」大いに振るう

江戸時代、深大寺の元三大師出開帳が明和2年(1765)7月と文化13年(1816)6月の2回、両国の回向院で執行されています。
前述『遊暦雑記』には、文化13年の出開帳について「件の慈恵大師の木造は趺坐して右の手を上にし、数珠を手繰るの座像なり、その大さ頭より膝にいたりて、七尺五寸、少し前の方へここみて見ゆ、頂の大さ宛も大西瓜ほどあれば惣体の格好是にて察すべし」とあり、また、江戸に到着した尊像が上野寛永寺の門をくぐろうとした時の様子について「大いなる故、なかなか通りがたく」と記されているほどで、当時の江戸市中の人々が深大寺の大師像の巨大さに驚愕していたことが知られます。近世はまさに元三大師が、深大寺の信仰の中心となりました。
『縁起』には、「日々にうやまい、月々に利益を得る人おほし」とあり、また『江戸名所図会』には「月毎の3日、18日、殊に正五九の18日は別業護摩供修行あるが故に、近郷の人群参せり、門前に市を立る」とあることからも、深大寺の元三大師は普く畏敬の念をあつめていたのであり、今日の賑々しさを垣間見るようでもあります。
平成21年には元三大師1025年御遠忌中開帳が執行され、25年ぶりに深大寺元三大師堂内陣御厨子の御戸帳が開かれ、坐像にして2メートル、僧形の古像としては他に例を見ない魁偉巨大なるお姿を一目拝そうと、僅か1週間の開帳期間に13万人もの善男善女が押し寄せたのでした。