「白鳳仏の微笑」深大寺悠久の一三〇〇年

「白鳳仏の微笑」深大寺悠久の一三〇〇年

慶応元年(一八六五)、またもや深大寺諸堂は炎上します。霊仏寺宝の数々は幸いにその難を逃れますが、建造物は山門と常香楼を残すのみとなり、その再興途上に明治維新を迎えます。驚くべきはそのような激動の時代にあって、慶応三年には早くも元三大師堂が再建されるのです。近郷信徒の大師信仰の篤さを物語る証しが、この再建の早さに如実に示されています。

本堂は炎上から五十年後の大正時代に再建の運びとなり、大正十一年(一九二二)秋、復興なった深大寺は摂政宮(昭和天皇)さまの行啓を仰ぎました。
また深大寺釈迦堂に奉安の白鳳釈迦如来像は、大正二年(一九一三)に旧国宝に指定され、摂政宮台覧以来、東国随一の古仏として全国的に有名になりました。

さて、深大寺では昔から蕎麦をつくり、徳川時代には深大寺蕎麦として、将軍家や上野東叡山にも献上され、また蜀山人などが大いに喧伝、来詣者に賞味されてきました。
近年境内には多くの俳人・歌人の碑が建立されましたが、蕎麦をめでながらその足跡を訪ねる参詣者も多く、実に年間百三十万人もの人々が深大寺を訪れます。

深大寺の寺歴の中で消長、興亡を経ながら伝承されてきた信仰、それを育んできた水も緑も、そしてまた蕎麦も深大寺の大切な生命です。釈迦堂に倚座の白鳳仏のみ、深大寺開創以来一三〇〇年悠久の歴史に我々を誘うがごとく微笑をたやさず、訪れる人々に深いやすらぎを与えています。

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