山門

参道より一段高い寺の敷地の入口に立つ正門で、正面には「浮岳山」の山号額を掲げています。慶応元年(1865)の火災の際にも常香楼とともに被災をまぬがれた建物で、現在、山内で一番古い建物です。屋根裏にあった棟札には、元禄8年(1695)に1,000人の寄進者・人足によって、このあたりの地形と山門の普請が行われた。と記されています。

東京に残っている江戸時代の建築の中でも、意匠的に特にすぐれたものの1つとされています。

形式は、主柱を3.6m間隔に立てて扉を付け、後方に細い控え柱を立てた薬医門とよばれるものです。柱、梁、組物などの材はケヤキ。屋根は切妻の茅葺き。屋根裏板や垂木はスギで造られています。ケヤキ部分をベンガラで赤色に、スギ部分を黒で塗った、山内唯一の彩色された建物です。

江戸時代の深大寺の建物はほとんどすべて茅葺きでしたが、今では旧庫裡と、この山門だけになってしまいました。ケヤキは昔、武蔵野では屋敷林として植えられ、建築用材として好んで使われていたものです。