元三大師堂の須弥壇下から本像が再発見
さて、そのようななかで、明治42年(1909)、当時東京帝国大学助手であった柴田常恵によって元三大師堂の須弥壇下から本像は再発見され、これにより深大寺の名は本像とともに日本中に知られるようになり、大正2年に本像は旧国宝指定となったのです。
その後、昭和25年の文化財保護法施行で重要文化財となりましたが、このたび、新たに国宝指定を受け、関東所在の仏像としては神奈川県高徳院銅造阿弥陀如来坐像、東京都大倉文化財団普賢菩薩騎象像に次ぐ指定となり、寺院伝来の仏像としては都内寺院唯一にして、東日本最古の国宝仏誕生となりました。
そのお姿はまさに国宝にふさわしく優れた造形美を讃えています。
螺髪をあらわさず平彫りとし、三道をあらわします。両手を屈臂し、左手は膝の上で掌(てのひら)を仰ぎ右手は掌を前に向けて立てそれぞれ第3、4指を深くその他の指は軽く曲げています。
衲衣(のうえ)は左肩から背面を覆い右肩に少し掛かり、肘から正面を通って左肩に掛け、裙(くん)は正面で打ち合わせ、裾を台座上に広げ、両膝を開いて台座に倚坐(いざ)します。
また指先などに見られる肌の柔らかな写実的表現と規則正しく折りたたまれる衣文(えもん)の整った形式的な表現が見事に溶け合っています。ひときわ目を引く倚(い)像(ぞう)という形は、飛鳥時代後期から奈良時代にいたるまでのいわゆる「白鳳」期にみられる形式です。本像は蝋型(ろうがた)鋳造(ちゅうぞう)による一鋳で、像内は像底から頭部にかけて大きく空洞になっており、銅厚は1㎝内外とほぼ均一で、重さは53㎏です。表面仕上げについては従来鍍金(ときん)とされてきましたが、近年の科学的調査では、鍍金に必要な水銀は検出されず、金色の施し方は検討課題になっています。
保存状態
保存状態は右手第3、4指先が欠失し、像表面が少し荒れているほかはきわめてよい状態です。すなわち本像は、造像当初の姿をよくとどめる白鳳仏としてきわめて貴重です。